わかったことがある。


昨日、友達と飲んでて、
私が最近悩んでることを話したら


やっぱり私の心には鍵がかかってるらしい。
しかも相当頑丈な鉄の南京錠がおりてるらしい。



もろもろのことから、自分でもそんな気はさすがにしてたけど
こんなにひどいもんだとは思わなかった。
そしてそれをどうにかするには
かなり大変そうだ。



でも世の中には居るそうだ。
扉を叩いてくれる人が。




って、その友人はいうんだけど
私には
「イエスキリストは居るんだ」
っていわれてるようなくらいにしか信じられない
っていうのもまた問題で。。


どうしてだろう。
不思議で仕方がない。
私の両親は高橋ジョージ三船美佳みたいではないとしても
相当ラブラブだし、それが見ていて良く分かるのに
子供のときから見てるのに
なんでそういう相手とか愛とか
自分に居るって
ほんとに思えないんだろう。


不思議でたまらない。




たぶん、
私のことをそんなに気にしてくれる異性がいると思えないんだ。
私のことを、そんなやっかいな鍵がかかっているような女のことを
興味を持ったり、開けようとする人が居るって
本気で思えないんだ。
だからたぶん、
なんかどっかあきらめてて、
誰かと出会っても、
本気で向き合う気が起きないんだ。
そういう自分を悟られないように、
「あなたの前では特に無防備になってます」っていうフリして
やり過ごしてるんだろう。
ほんとに心を開いてないことがバレないようにだけして。
それがいつまで持つのか、傍観してるんだ。ほんとの自分が。


私はその人のことが興味なかったわけじゃない。
好きじゃなかったわけじゃない。
相手が私のことを興味ないだろうって
勝手に思ってあきらめてただけ。
努力もしなかった。
それで本気でその人のことも知ろうとしなかった。
ある程度想像だけして、
あとは適当にしてた。
続くだけ続くように。
別に知りたいとも思わなかったのは、
自分のことを知ってほしいって思わなかったから。
私、誰にも自分のことを底の底まで知ってほしいって思わない。




思わないって思ってるだけで、
ほんとは死ぬほど思ってるのかもしれないけど、
それはよくわからないけど、
でも知らないほうが相手のためだと思う。
どっかでそう思ってる。
知らないほうがいい。
だから知って欲しい思えない。

私のこと、手に余るだけだろうし、
そんな手に余ることはほっといてほしい。
でも、結局
自分ひとりだと寂しくて
誰かにもたれたいって思っても
求めなかったから誰も居ない。
その繰り返しだ。



でも彼女曰く、
世の中にはそんな人が居るらしい。
手に余ることも見たいっていう人が
見せて欲しいっていう人が
私はまだ出会ってないだけなんだって。



でもイエスキリストと出会える日が来るなんて
俄かには信じがたい・・