いま書ける遺書。

人間失格


これは太宰が入水自殺する2ヶ月前に書いた自伝的な作品である。
太宰は40歳になる約1週間前に死んで、その40歳の誕生日に死体が発見されている。


女を連れての心中という形だった。(この時代、「情死」といったらしい)
心中といっても、(作品の中から察するに)「女に心底惚れて一緒にいたいがため」というものではなく、
ただ、ひとりで死ぬことができないからというものだ。
これを「心中」などといったら曽根崎心中の二人は笑うだろう。


彼は子供のころから欲しいものが欲しいと言えなかったらしい。
気が弱いからとかそんなレベルではなく
「欲しいものがわからない/無い」
という理由からだ。
空腹さえどんなものかわからないらしい。
そんな生涯をどう過ごしたかというと、とにかく周りの人間に合わせて
おどけて(本心をごまかして)、相手が聞きたいであろうことを推測し、
そして実行していた。
たとえば、父親に「お土産は何が欲しい?」と聞かれ上手く答えられなかったとき、
「父親に復讐される」とおびえ、
父親の手帳に「シシマイ。(父親に勧められたおもちゃ)」を自分で書き込んだという。

おそらく、まわりの大人は彼のこういった行動をいたく可愛らしく、無邪気なものととらえ
彼を一層可愛がったことだろうと思う。
彼もこういった行動を、数え切れないほどその生涯でしてきたのだろう。
彼は、この作品の中で、そんな彼の周りの人間に
「あれは嘘です。あれは虚構です。あれは自分の偽りの姿です。」
という懺悔をしているのだ。
そして死んでいった。
これはれっきとした遺書だ。





私もいつか遺書を書いたことがある。
この本を読んで思い出した。
それは、本当に死のうとして書いたものではなくて、
「いつ死んでもいいように、周りの人へ向けた書付」
のようなものだ。
別に、死にたいほど苦しくても死ねないのに、
何も考えていない時に車にひかれて死ぬかもしれないし、
そういう場合のために書いた。
たしか22歳か23歳ごろだったと思う。
家族へのお礼とか、そういう基本的なことから、
「私が死んだら○○ちゃんに私の指輪をあげてください。」
とかそういう形見分けの分担まで書いた。
これを書いたとき、私は安心した。
これでいつ死んでも安心だ、と。
それで何をしても怖くないと思った。
確かこのころ、彼氏と別れて少し経って、
仕事も正社員とかになれずにバイトとかやってた頃だと思う。
(正社員になれずにバイトをやってた時期が長いからあまり詳しい時期をしぼれないけど)
人生で何か意味のあることをやりたくて
もがいていた時だったと思う。たぶん。



たぶん、というのは
振り返ればいつも
どんな状態でも(バイトでも派遣でも映画作ってても正社員になっても)
私はそのことを考えてもがいているからである。








でも22か23の頃みたいに、
あんな前向きな遺書は書けないんじゃないかと思う。
もし今書いたら。





あの遺書は
とても前向きな、
一歩進み出るためのとても前向きなものだった。



いま思い出したけど、
たしか雑誌編集者になりたくて
どこかの大手雑誌社に直談判したりしてた頃だったかもしれない。
・・・それはもうちょっと後だったかな。。。





とにかく、
27歳であと1カ月で28歳になる今は、



今日、ビデオ屋にいって
私の生涯の映画のひとつの「おもひでぽろぽろ」を恐る恐る手に取ってみたら
やっぱり主人公と同い歳だった。

とうとうタエ子の歳まで越えようとしている。


本やマンガや映画の大好きな主人公達の歳を超えてしまう時のせつなさと複雑さといったら。