他人は鏡。

最近、mixiを時々やるようになって(でもマイミクは5人)、
そこにもたまに日記を書くのだけど、
やっぱりどうしてもへんに気構えるというか、
どことなく窮屈。
たった5人の、それもすごく親しい子達しかみないのに。


まあだからっていうのもあるんだろうけど。


うまく書いてる人はすごいな。
私は自分に自信がないから
あんなに自分の日常とか書けないや。



今日は、そっちに書こうかと思って
結局根性がなくてやっぱり
バムセ日記に書こうと思ったこと。




そのmixiで、自分より5歳くらい年下の女の子がこんなことをつぶやいてた。
「顔も大事だけど、中身も魅力的な人は年に関係なく魅力的だ」
ってことを言っていた。

もちろん、具体的に「どんな中身か」っていうのも書いてあった。
事細かに挙げてた。
それを読んで、ふと思った。



私はいままで、
自分に対する注文が高すぎるんだと思う。
理想が高いんだ。
「なりたい自分」のハードルが高すぎるっていうか。


だからできない自分が悔しいし情けないし許せない、
ってなるんだと思う。
結果、自分を追い詰める。


それに、自分への理想も高いから、
相手に求めるものも多い。
「理想の自分」と「理想的な相手」と
両方求めてたんだ。


理想があれば、挑戦すべきだと思ってた。
努力すればなれるって思ってた。
自分さえ努力すれば。
しないで「なれない」とか「無理」っていうのは
怠慢だと思ってた。


でも、いくら努力しても
完璧にはなれない。
でもいいんだ。
完璧な人間なんて居てもおもしろくない。
完璧な人と友達になりたいって、
自分でも思わないもん。


なんか、こういう言葉、
中学生ぐらいの時に聞いた気がする。
私が不登校になったとき、
友達とか先生が言ってくれた気がする。

その時、言葉の意味はわかってたけど、
自分には届かなかった。
その時の自分には、受け入れられる内容じゃなかったんだ。


結論は、完璧には、一生かけてもなれない。
どこにもシミの無い人間なんかいない。
ということはもちろん、理想の相手も存在しない。



わたしはいままで、青い鳥を追ってたんだ。
しかも2匹も。



これからわたしが結婚なり恋人つくるなりしたかったら、
まず、完璧じゃない自分を認めないとだめなんだ。


それから、いままでがんばってきた自分をふりかえること。
実った努力を忘れないこと。
結果を心に刻むこと。
(なんか卒業式の先生のあいさつみたい・・)


いままでがんばって達成できた目標って
結構多いんだもん。
それをほとんど忘れてるんだ。
それはいけないことだ。
ていうか、ちょっともったいない。
せっかくがんばったんだから。




わたし、
この日記で何回も何回も
後悔して反省して落ち込んでがんばろうって繰り返してきたけど、
わたしには後悔も反省も必要ないんだ。


ただ欠点がある自分を受け入れればいいんだ。
泣く必要もない。
人間は真っ白じゃないんだ。



いつか、高校生くらいの時だったか、
おじいちゃんに言われた。
「きわちゃんはずっと真っ白だから、おじいちゃんは心配だ。」


それまでわたしは、祖父母の前ではつとめて
純真無垢天真爛漫にふるまっていたから、
「しまった。もう高校生なんだから、ちょっとは反抗的にしなきゃ逆に不自然だ。」とあせって
「大丈夫だよおじいちゃん。あたし結構黒いよ。」とか、あわてて生意気を言った。




実際、その当時、自分は「実は黒い。それなりに汚れてる。」と思ってた。



でも、やっぱり白かったのかもしれない。
黒い自分を許せていないなら、白いことに変わりないかもしれない。




汚れるというのは
柔軟になることなんじゃないのか。
「汚れる」という言い方も違うな。
「染まる」?
これもちがうなあ・・・


なんか、
いっしょうけんめい化学薬品で殺菌消毒してたタオルを
普通に洗いはじめたっていう感覚。


「馴染む」かな。


馴染むだな。



でもどうせだったらいいにおいのするタオルになりたいな。