引っ越しの片づけがままならない。


最低限の家事さえ危うい。



気が遠くなるくらい散らかった部屋で
「洗濯の山を片づけなければ・・・そのまえに洗いものをしなくては・・・アリさんに頼んだ段ボールはまだこないのか・・・・・」


とエンドレスに考えてはぼんやりなにもせずにベッドに横たわっている。



時々、太宰治の「きりぎりす」の「皮膚と心」を読んだり、
ゴッホの画集を眺めたり、手島葵のCDを聴いたりする。





それからまたなにも手につかなくなって
ささくれをひっぱって指を駄目にする。







何が不幸なわけでもないのに。












昔、わたしが母に、「自分の一番好きな絵はゴッホの『ひまわり』だ。」といったら、
「お母さんはあの絵の色が嫌いよ。正常な色じゃない。」
と言った。


わたしはその時、そんなことをいう母が憎いとかひどいとかは思わず、
ただ「正常じゃない色ってなんだろう?」と、不思議に思っただけだった。


たしかにゴッホは精神不安定だけど、
ひまわりの絵は明るい黄色で、お花がたくさんあって、
楽しい絵にしかみえなかったのに。



昔から絵画を観るのが好きだったけど、
これといって好きなものがなかったから、
ひまわりを好きだと言うことで、
なんとなく「絵画好き」の自分が肯定された気になった。


でも、「モネの『水連』が好きだ。」とか
ルノアールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』が好きだ。」とか言えば、
周りの人は正常に扱ってくれるかもしれないのに、
ゴッホの『ひまわり』」といえば、
「ああ、この子は少し異常な子だ。」
と、思われるんじゃないかって気がして、
結局、「なんの絵画が一番好きか。」という答えに、ひまわりを挙げたことはほとんどなかった。
まあそんな質問されること自体、いままでそれほどないのだけど。




母の悪口みたいになってしまったけど、
そうじゃなくて、




さっき久しぶりにゴッホの画集をみていたら、
昔、母が言った「正常じゃない色」の意味がわかったんだ。



たしかに変だ。


彼の描いたもの全てとは言わないけど。
でもその多くが「不安を誘う色」だった。

青と黒と黄色がうねった夜空とかもそうだろう。



眺めていて気持ちの透くものじゃない。




当時、わたしはゴッホの何に魅かれたんだろう。
「明るい、楽しい絵」と思ったひまわりですら、
いまは少し不愉快に・・・・思う。




ゴッホの絵に同調できないのは、
自分が正常になろうとしているからなのか、
それよりも悪くなっているからなのか。




この前の日記で、ヘレン・ケラーの「ウォーター!!!」のごとく開眼したはずだったのに。




ゴッホは好きだ。いまでも。


でも全部とは言えなくなった気がする。




太宰とかゴッホとか昼間から一人で部屋に閉じこもって嗜んでる29の女なんか
誰がどうみても少し異常だと思うんだけど、

問題は世間の目じゃなくて、
それを卑下している自分だってこともわかってる。






理由もなく悲しくて寂しくて情けない蟻地獄みたいな生活、
早く抜け出したい。



私は不幸じゃないのに、
なんで寂しいんだろう。



なんか、こないだ顎関節症自律神経失調症とかうつ病を誘発するって聞いたから、
そのせいかもしれない。


来月、整体に行って治してもらうの、顎。


治ったら少しよくなるかもしれない。
よくなりたい。
健康になりたい。
早く人間になりたい。(ベム)




洗濯機がとまった。
段ボールが届いた。
次のことをしなくちゃ。
もう日が暮れてきた。




でもこのまま寝たい。
いま火事が起きて、家財一式全部燃えても、
本当に惜しい物なんか一つもない。


それなのになんで箱に詰めないといけないんだろう。
なんにも見なかったふりして全部捨てられたっていいのに。







現金さえあれば本当に困ることなんかない。






要らない物ばっかりに埋もれて、
寂しい寂しいって泣いてることが
馬鹿馬鹿しい。






何が気に入らないのか。



いっそうつ病って診断してもらって
大人しく薬もらえばいいんだろうか。




でももう精神科通いはいやだ。
それでなくてももう病院通いしてるのに。






とにかく早く実家に帰る。